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風の谷のオムライスとハイダー爺

パキスタンのフンザ地方に、カリマバードという小さな村がある
もう20年ほど前になるが、中国のカシュガルからフンジャラブ峠を越えて、ぼくはパキスタンに入った
パキスタンの国境でビザ係のおじさんに賄賂を渡し、トランジット・ビザをもらった
7日間のうちにイスラマバードから出国する計画だった
日本を出たぼくは、チベットのラサを目指し、上海から旅を始めた
鉄道とバスを乗り継いで中国の四川省まで来たぼくは、康定という村(当時はまだ村だった)からヒッチハイクをし、チベットのラサまで行った
しかし漢族だらけのラサの街になんだか嫌気がさしてしまい、飛行機で成都に戻る
そこからまた飛行機で新疆ウイグルのウルムチまで飛び、バスを乗り継いでパキスタンまでやって来た
本当は、ラサからさらにヒッチハイクをして、西チベットのカイラス山まで行こうと思っていたのだが、当初予定していた1ヵ月の期間ではとうてい難しいと分かり、カイラス山行きは断念した
その代わりに、西チベットを抜けたと想定して、カシュガルからイスラマバードまで抜ける旅に急遽変更した訳だった
パキスタンのフンザ地方は、まさに風の谷だった
風の谷のナウシカの、あの風の谷
文明を感じさせるものは、電気くらい
それも、夜9時くらいには村中が消灯になった
村人の服装がまた、風の谷のナウシカそのもので、アニメがそのままテレビから出てきたようなところだった
その大きな谷を見下ろす山の斜面に、カリマバード村はひっそりとたたずんでいた
乾燥しているせいで、雨はほとんど降らず、空はいつも、突き抜けるほど青い
アンズの木がたくさんあって、干したアンズの実が村の名産になっていた
なぜパキスタンに来ようと思ったかと言うと、前の旅でバンコクに寄ったときに、古本屋でパキスタンの「ロンリープラネット(ロンプラ)」を見つけたからだ
チベットのラサに行きたくて仕方なかったぼくは、チベットを抜けてパキスタンまで行く計画をすぐに思いついて、持っていたタイの「地球の歩き方」とその「ロンプラ」を交換してもらった(いわゆるブック・エクスチェンジというやつ)
その英語のガイドブックを見ながら、風の谷を見下ろす小さな宿にたどり着いた
宿の名前は、ハイダー・イン(Haider Inn)
賑やかな中国から、人もまばらなフンザ地方に入り、少し寂しく旅をしていた
しかし、この宿の居心地の良さに、つい長居をしてしまう
それはなぜかと言うと、宿には日本人しか泊まっていなかった
理由はよく分からないが、「地球の歩き方」にでも載ってたのだろうか
そして、宿主のハイダー爺だ
パキスタンでは、女性はほとんど人前には出ず、商売は男がやるものだ(と、ハイダー爺が言ってた)
なのでこの宿も、ハイダー爺が1人で取り仕切っていた
ぼくが泊まった部屋は3人部屋のドミトリー
部屋の奥にはバス&トイレがついていた
同部屋は、日本人のお兄ちゃんと日本人の女の子
ぼくが宿に着いたとき、女の子が携帯で音楽を鳴らしながら、洗濯物を庭に干していた
天空の城ラピュタのトランペットの曲
ナウシカではないのだが、この曲がこの谷にすごく似合っていた
みんなの楽しみは、ハイダー爺が作る料理だった
宿の食堂には常に誰かがいた
そして、誰かが「オムライス食べる人いる?」と言い出すと、何人か集まってきた
この宿の名物は、なんとオムライスだった
キッチンの壁には、日本語で書かれたメニューと、オムライスの作り方
日本人がハイダー爺に作り方を教えたらしい
インドや中国からここにやって来る旅人は、カレーや中華料理に飽き飽きしてるものだ
そんなところへオムライスなんて文字を見せられたら、イチコロなのは決まってる
しかもハイダー爺の料理は、なにを食べてもうまかった
夜はみんなで集まって、ハイダー爺のカレーを食べる
村には食堂なんてないから、宿で食べるのだ
ハイダー爺のカレーは絶品だった
ベジのカレーだけなのだが、それがどれもうまい
ニンジンのカレー、オクラのカレー、ポテトのカレー
こんな感じで毎日カレーなのだが、うまいのでぜんぜん飽きなかった
でも、昼はやっぱりオムライス
オムライスの他にも日本食のメニューはあったが、なぜかみんなオムライスを食べていた
ハイダー爺は、爺さんだからハイダー爺なのだが、「じい!」と呼びかけると「ジー!」と返ってくる
パキスタンで「ジー」は「はい」という意味らしかった
だからみんな爺のことを、ハイダー爺と呼んでいた
「爺!オムライス食べたい!」
「ジー!」
そんな会話が毎日繰り返されたものだ
カリマバードでは、こんなこともあった
ある日、歩いて氷河を見に行ったら、村の子供たちが石を投げてきた
この辺りの子供は、外国人を見ると石を投げてくるのだ
こんなところで大きな怪我でもしたら、大変だ
病院なんてない、逃げるしかなかった
日本人の男の子が、血便が出る、赤痢かもしれない、と言っていた
インドから来た、と言っていた彼は、心配だからバンコクまで戻る、と言っていた
あの彼は無事だったろうか
女優の鶴田真由がフンザに来ている、と言ってる人がいた
日本に帰ってテレビを見ていたら、鶴田真由がほんとにフンザに行っていた
爺と話をしていて、軍隊の話になったことがあった
爺は、こんなことを言っていた
わしもまだまだインド人には負けん
もし戦争があれば、わしも武器をもって戦場にいき、インド人をたくさんやっつけてやるんじゃ
そんなフンザのハイダー爺の宿へ、また行きたいとずっと思っていた
そしたら、イスラム教徒のテロが始まり、パキスタンには近づけなくなった
あの頃のパキスタンには、アフガンに行くと言う旅人もいた
アフガンも安全とは言えなかったが、今やパキスタンも同様だ
そんなことから、フンザに行く機会はなく、もう20年も経ってしまった
ふと思い出して、Googleマップでハイダー・インを見てみると、こんなコメントがあった
ハイダーイン(Haider Inn)
「Haider Inn」に関する KEI Good Place さんの Google での口コミ
KEI Good Place
1か月前
ここに訪れた人達皆に愛された通称「ハイダー爺」2018年にの2月に死去されたと村の方にお聞きしました。 素晴らしいフンザの土地を見守り続けた「ハイダー爺」のご冥福をお祈りします。 2018年2月現在休業中でした。
そうか。。なくなったのか。。
品川・天華のじいちゃんの時も思ったけど、人はいつか亡くなる
だけど、寂しいなぁ。。
幻となった坦々麺の名店、品川・天華

幻となった坦々麺の名店、品川・天華


ハイダー爺、天国でもハイダー・インやってて欲しいな
そしたらまた、あのオムライス食べれる
ハイダー爺
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パキスタンの街角から
より